熊凝山額安寺

額安寺かくあんじの歴史

  1. 飛鳥時代
    621年額安寺開山

    聡明叡知で仏法を尊んだとされる聖徳太子が、釈尊(ブッダ)の祇園精舎に倣って創建した学びの道場「熊凝精舎」が山号の由来です。額安寺は621年に熊凝精舎を置いた跡地に建立された寺院で、後に東大寺、興福寺と並ぶ大寺となる大安寺の前身であると言われています。

  2. 奈良時代~平安時代
    710年~仏教渡来の門戸にあたる壮大な寺院「額安寺」

    額安寺のあたりは初瀬川と佐保川の合流する古代水路による交通の要所で、瀬戸内海を通りなにわの浦から大和川をさかのぼって額安寺近くの板屋ヶ瀬に外国使臣や文物が渡来してきたのであって、額安寺は仏教伝来の門戸に規模壮大な大寺院として臨んでいたのであります。
    寺域は極めて広大で、南北二丁、東西三丁に及びその中に金堂・講堂・塔・中門・南大門・池・回廊その他の諸堂立ち並んで仏教渡来の門戸に相応しい偉容を示していました。

  3. 鎌倉時代
    1192年鎌倉時代の復興

    鎌倉時代には時運やや衰えていたようでありますが、当代の高僧興正菩薩やその弟子の忍性菩薩等によって仏像処理などが行われました。殊に忍性菩薩はこの近くの生まれで額安寺周辺で施薬・施食等の今日においての社会福祉事業に貢献した僧として有名です。

  4. 室町時代~昭和時代
    1868年~戦火を浴びる

    しかしその後戦火を浴び、本堂(もとの講堂)一宇を残すのみとなり塔も豊臣秀吉の命により摂津の四天王寺に移され、時代の下ると共に衰退の途をたどり、明治の中頃には寺域なお一万余坪を残していたのでありますが、寺領のほとんどを失いその後は廃寺にひとしい状態に置かれていたのであります。
    近時、飛鳥時代の法燈を受け継ぐ名刹額安寺の荒廃を嘆く声も多く殊にこの地に育った前々住職の故喜多亮快師が額安寺の衰亡することを憂え自力で復興を志し、昭和五十年より些か補修建設を加えて額安寺を今日の姿まで復興いたしました。

  5. 平成時代
    2007年~仏舎利拝受による平成復興

    宗教画の中心に世界で活躍した杉本哲郎画伯より、インドのネール首相から贈与されたという釈迦の遺骨「仏舎利」が奉納されました。仏舎利の奉納に際して拝受式が大々的に行われて角界の著名人が列席し列席しました。
    その後、この仏舎利を安置した納骨堂を建立し、額安寺は1300余年の歴史を経て、仏教の精神を多くの人に伝えるための新たな一歩を踏み出しました。