熊凝山額安寺

額安寺かくあんじについて

智を開き、道を明かす。

聖徳太子が学舎として親しんだ熊凝精舎の地に
強くしなやかに生きるための知恵が、光ある道へと導きます。

不安や混沌に満ちた時代に、安堵と希望の光を照らすもの。それは、「知恵」であります。
知恵とは知識や記憶を得ることではなく、正しい判断力で真実を見定める力の事を言います。
心の荒廃が叫ばれ、さまざまな社会問題が惹起される現代の世の中。
その一番の要因は知識教育のみが先行し、知恵の学びが忘れられた結果であるとも言われています。
静かな大海が大空の星すべてを映しだすように、曇りなき心で物事と向き合ってみてください。
ありのままの事象をとらえ、そこから真理を導き出すことこそが知恵を開くことであり、強くしなやかに生きることにつながるのです。

熊凝山額安寺住職 喜多亮円
  • 太子御創建

    聖徳太子が病を患っておられたころ、叔母君に当られる推古天皇は太子のもとに人を遣わされ「希望するところは何か」と尋ねさせられたところ「熊凝の精舎を朝廷に献じ、大寺となし永く後世に伝えるよう」との志を述べられ、天皇はそれを快く受け入れられました。

  • 山号の由来

    熊凝りの道場
    飛鳥の御世、聖徳太子はここ熊凝の地に道場を創建され、釈尊の祇園精舎等に倣うて熊凝の精舎と名付けられました。これが額安寺の始まりであり、山号の由来でもあります。

  • 寺号の由来

    寺号の額安寺は推古天皇がおん額に瘍を痛まれたことがあり、その時に熊凝の精舎に祈願されたところあと形もつかず快く平癒されたので御感ふかく熊凝の精舎に額安(ひたいやすらか)なる寺「額安寺」の寺号を賜ったと伝えられています。

  • 御本尊

    御本尊は十一面観世音菩薩(室町中期作)で非常に彩色が美しく保存状態も良好です。厨子の扉絵も大変立派なものです。十一面観世音菩薩とは、四方八方と上下の計十方に本来の顔である本面を加えた十一の顔で衆生の有様を観察し、その祈りの声を聞くとされている菩薩です。信仰するものに授ける功徳としては現世での利益10種「十種勝利」と地獄を逃れ極楽浄土に往生できるといった来世での果報「四種果報」があります。

聖徳太子のおことば